私は年とともに坂道を転がるボールのように、加速度的に歴史に興味を増してきた。ことに、日本の歴史
の黎明ともいうべき、邪馬台国卑弥呼に関しては寝食を忘れても、とまでは表現しないけれど 一日たり
とも頭から離れない。何故そうなったのかについては、自分でも判然としない。これはある種の本能
とでもいえるのではないだろうか。あるいは、自分自身の前世が、卑弥呼の活躍した時代に生きていた
魏使だった?と思う。そうでなければ、同じ世界の、日本の歴史の邪馬台国時代に異常な関心、
興味を示す筈がないだろうと勝手に解釈している次第です。ことに、人間の生まれ変わりという
事に関しては、絶対と云っていいほど信じている。仏教の輪廻転生を学んで以来、これほどに
人の一生、人生の意義などに附合する理論はない。人は30回は転生し、修行するものであることも
解った。もしそうでなくて、仮に人生は生きている間だけというなら、そして死んだら何もない
無に帰すというなら、欲望の限りを尽くし、やりたい放題にやっている方がいいのではないか?
という結論になりはしないか。そこには動物の弱肉強食の殺し合いの世界しか展開しないだろう。
現代の世相に垣間見る銀行強盗などの犯罪の増加は、そうした意味でもこういう犯罪人の愚かさ
を感じる。そうではないからこそ、世のため人のために誰しも働き、老いても人を思いやることが
出来るのではないか。しかしながら、世の中は次第に、この動物の弱肉強食の世界に近ずいてきて
いることを肌身に感じる。犯罪の増加、世の中の冷たさなどは、これ総て餓鬼畜生の動物世界に
近ずいた一歩であることを証言する。長い歴史を見てみると、何度も何度も同じ事の繰り返しで
現在に至っていることも解ってきた。天変地異は、これらのひずみを元に戻そうとする働きであるとも
思う。何と言っても世界では人間が一番の神の使い。神の代理人。神は人間を使って表現
したいのである。その人間が、本来の使命を忘れ勝手に動き出すと、もう収集がつかない。
そんな状態が現代であると思われる。歴史は同じ事の繰り返しを度重ねてやってきた。
その昔、ノアの箱舟伝説でわずかの人間と動物のみ助けられた話は事実で、世界の洪水伝説
総てが時代、状況、そして遺跡の証拠からして過去に起こった出来事であることが判明する。
歴史を振り返れば古代、さらに超古代と遡るにつれて、一般には常識的に人間は原始になる
と信じられているが、これはとんでもない認識の欠如であろう。日本史は確かに縄文、弥生時代
と原始生活をしていた証拠もあるが、では縄文時代の前は何だったか?と云えば常識ある人は
サルに近い原始人というだろう。とんでもない見識違いであり、はるか5000年前~10000年前には、
現代と変わらぬ生活をしていたといえば、狂人扱いされる。だが、どちらが狂っているかは
歴史が証明するだろう。すなわち一万年も昔の人達は、電気も用い、空も飛び、レーザー光線を
扱っていたことを誰が知るだろうか。電気やレーザーの活用はエジプトの壁画にその様子が
描かれているし、空を飛ぶのは飛行機の現代のコンコルドと同じ金の模型がペルーインカ帝国で
発見されていて、世界ではオーパーツと表現する。すなわち信じられないという意味である。
これが航空機の模型であることは判明している。
ペルー ナスカの謎の地上絵は飛行機からしか見ることはできない。日本には天孫降臨伝説で
有名な空から皇族が高千穂に舞い降りた伝説が存在し、天の逆鉾は今でも高千穂峰に突き
刺さっている。実在の歴史でエジプト文明は紀元前4000年前やら6000前とも言われるが、
此のころの日本はと云えば縄文時代で人々は裸同然で野山を駆け巡って動物を追った生活を
していたという。西では高度の文明、片や東では野山を裸同然で狩猟生活とは、
どう見ても違和感がありすぎる。日本の縄文時代とは、それ以前の文明が消滅した為、
仕方なしに生き残った者同士で、一から原始生活を始めたのだ と考えられる。
紀元前のちょうど2000年前頃には 有名なイタリアのポンペイ遺跡が知られる。
ベスビオスという火山の爆発により一夜にして火山灰に埋没した事実は、近年の
発掘により、微に入り細に渡り人々の当時の市民生活が判明した。それによると、
町は現在とさほど相違がなく、道路は石の舗道、そして馬車、店舗はパン屋さん、
色んな店、銭湯、ホテル、ありとあらゆるものが解ってきた。こんなローマ時代の
遺跡が日本では、まだ歴史の舞台にも登場しない原始時代すなわち弥生時代である。
だがそれよりずっと昔は文明生活を営んでいた筈で、それまでの高度な文明生活。
-----それは、太平洋の海底に沈んだムー大陸が超高度文明に酔いしれて、堕落生活の
挙句大陸沈没の憂き目に遭って、その生き残りの人々が日本列島にたどり着いて原始生活を
始めたのだ。ほとんど証拠もないムー大陸。だが、いろいろと検証ができる。例えば、日本にある
浦島太郎伝説は、海中に沈んだ黄金宮殿の名残りであろう。
竜宮城というのは、発音から、リューキュー すなわち今の琉球列島、鹿児島県の奄美大島から、
与論島、沖縄各島を指すのは間違いない。また最近ではあるが、沖縄県の与那国島の海中遺跡。
琉球大学の木村教授によると、この遺跡は神殿跡であり、明らかにムー大陸の一部であったと
される。日本書紀、古事記の記紀にもそれらしき表現が随所にあり、しかも、天孫降臨の神話
には天から皇族が舞い降りたとなっている。空から降りるのは航空機か空飛ぶ円盤か飛行船、
宇宙船以外にはなかろう。あるいは、竹取物語でも最後は月からの使者が円盤に乗って
煌々と明かりを照らしてかぐや姫を迎えにきたシーンは誰しも知っているだろう。これらの
口述伝説にしても、世界には似たような話でいっぱいであり、満更作り話で終わらすわけには
いかない。わずかの資料をもとにしても、日本人は原始から歴史がはじまったのではないことは
明白である。その元の元は高度な文明生活、幸せな生活をしていたのではと思われてならない。
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