最近、本屋さんに並ぶ新刊本に、老後の本がやたらに多い。佐藤愛子さんの老後の自覚に関するもの、森村誠一さんの老後の本、日野原重明さんの100才を元気に などなど。
いずれも 内容は似たりよったり。高齢者が増えてきたことによる、謂わば高齢を自覚する為の
指南書とでも言えようか。誰しも年を取る。その時では遅いですよ と云っている。
その昔 人生五十年の時代が長く続いてきた。その頃は現在のような高齢者は少なかった。古希は人生七十古来稀なりであった。今は七十は若い部類になりつつある。とはいっても、やはり老人。社会のお荷物にならない為にも自分自身のことは、自分でやろうという趣旨だろう。
織田信長の辞世の句
人生五十年化天の内比ぶれば夢幻の如し
豊臣秀吉の辞世の句
露と落ち露と消えにし我が身かな 難波の事は夢のまた夢
いずれも人生のはかなさを最期に詠っている しかしこれらの武将は やりたい放題やった結果
だから文句はあるまい 問題は やりたいことができなかった人達、て゜ある。
残念無念 という言葉がある。念を残すという。思いを残さぬよう、毎日を精一杯生きる事が
大切だという裏返しに他ならぬ。
そんなわけで、自分自身も思いのたけを毎日精一杯に生きようと思いつつも、毎日毎日残念無念の日々。思いを成就出来た日が珍しい。 そんなこんなで半世紀はとっくの昔過ぎ去り、還暦も
もう過去の過去。年齢ばかり重ねる愚かさ。一体どうすりゃいいのさ この私。といいつつ、
試行錯誤の繰り返し。ああ、愚かな自分が 情けない。今日こそは、今日こそは で 過ぎ去る歳月。明日の、来年の、五年後の姿は霧の彼方。今だけで必死なんであり、明日以降など解ったもんじゃあ ない。
佐藤愛子さん、森村誠一さん、そんなことおっしゃったって
無理無理ムリ。
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