しののめは総ての始まり 書道も始めに学びます 日本古来の文化に学ぶ 歴史も書もすべてを 初期を照準にする夜明けの文化を目指しています。「shinonome」studies all the start calligraphies in the beginning.the history of learning to an old japan culture and the book aim at everything and it aims at the culture of discernment at night when the first stage is maid aim
2011年6月30日木曜日
今朝のしののめ23年6月30日(木曜日)
熱帯夜に近い夜が明けた
でも 本当の熱帯夜は こんなものではない 限りなく暑く どしようもない
今日は一年の半分の日 明日から後半になる
要りませんと固辞しても 強制的にくれるものは歳だけ
プレゼントなど 要りませんと言えば あつさりと そうですか と引っ込める
歳月人を待たず 年は 待ったなしにやってくる 日一日と 新たなり
明日からと言わず 今から新たにやっていくものが いろいろある
2011年6月29日水曜日
今朝のしののめ23年6月29日(水曜日)
梅雨明け? かと期待を持たせる朝
やはり 雨ばかりでは 辛い
毎日 人は 何かの 希望 期待を持たないと 活力が湧かない
創意工夫にも 環境の影響が大きい
日本は雨の多い 湿気のある国
砂漠国家ではないから 潤いのある文化が発達してきた
絵を描くにも 水墨画 油絵は日本古来のものではない
人の性格にも影響を与えている
山紫水明が古来の日本列島
今は山紫水明は死語 白砂青松の海岸は 消滅
山は開発 ゴルフ場造成 植林は杉 花粉症の元
自然を汚し 破壊し 宇宙から見た市街地は 癌細胞に蝕まれたところと映る
一体 いきつく先は
やはり 雨ばかりでは 辛い
毎日 人は 何かの 希望 期待を持たないと 活力が湧かない
創意工夫にも 環境の影響が大きい
日本は雨の多い 湿気のある国
砂漠国家ではないから 潤いのある文化が発達してきた
絵を描くにも 水墨画 油絵は日本古来のものではない
人の性格にも影響を与えている
山紫水明が古来の日本列島
今は山紫水明は死語 白砂青松の海岸は 消滅
山は開発 ゴルフ場造成 植林は杉 花粉症の元
自然を汚し 破壊し 宇宙から見た市街地は 癌細胞に蝕まれたところと映る
一体 いきつく先は
2011年6月28日火曜日
2011年6月26日日曜日
今日の毛筆便り23年6月26日(日曜日)
台風が東支那海から朝鮮半島へと通過した余韻で朝から
強風が吹き荒れ、ベランダのサッシが音を立てゝいる。
自然は凄いとあらためて感じる昨今の様子。季節は朱夏で
ある丈に強風は心地よさをもたらしてくれるようである。
きょうという日は骨休めするつもりだったのが、逆に疲労感を
もたらすことになったこの後。
2011年6月24日金曜日
歴史散見
私は年とともに坂道を転がるボールのように、加速度的に歴史に興味を増してきた。ことに、日本の歴史
の黎明ともいうべき、邪馬台国卑弥呼に関しては寝食を忘れても、とまでは表現しないけれど 一日たり
とも頭から離れない。何故そうなったのかについては、自分でも判然としない。これはある種の本能
とでもいえるのではないだろうか。あるいは、自分自身の前世が、卑弥呼の活躍した時代に生きていた
魏使だった?と思う。そうでなければ、同じ世界の、日本の歴史の邪馬台国時代に異常な関心、
興味を示す筈がないだろうと勝手に解釈している次第です。ことに、人間の生まれ変わりという
事に関しては、絶対と云っていいほど信じている。仏教の輪廻転生を学んで以来、これほどに
人の一生、人生の意義などに附合する理論はない。人は30回は転生し、修行するものであることも
解った。もしそうでなくて、仮に人生は生きている間だけというなら、そして死んだら何もない
無に帰すというなら、欲望の限りを尽くし、やりたい放題にやっている方がいいのではないか?
という結論になりはしないか。そこには動物の弱肉強食の殺し合いの世界しか展開しないだろう。
現代の世相に垣間見る銀行強盗などの犯罪の増加は、そうした意味でもこういう犯罪人の愚かさ
を感じる。そうではないからこそ、世のため人のために誰しも働き、老いても人を思いやることが
出来るのではないか。しかしながら、世の中は次第に、この動物の弱肉強食の世界に近ずいてきて
いることを肌身に感じる。犯罪の増加、世の中の冷たさなどは、これ総て餓鬼畜生の動物世界に
近ずいた一歩であることを証言する。長い歴史を見てみると、何度も何度も同じ事の繰り返しで
現在に至っていることも解ってきた。天変地異は、これらのひずみを元に戻そうとする働きであるとも
思う。何と言っても世界では人間が一番の神の使い。神の代理人。神は人間を使って表現
したいのである。その人間が、本来の使命を忘れ勝手に動き出すと、もう収集がつかない。
そんな状態が現代であると思われる。歴史は同じ事の繰り返しを度重ねてやってきた。
その昔、ノアの箱舟伝説でわずかの人間と動物のみ助けられた話は事実で、世界の洪水伝説
総てが時代、状況、そして遺跡の証拠からして過去に起こった出来事であることが判明する。
歴史を振り返れば古代、さらに超古代と遡るにつれて、一般には常識的に人間は原始になる
と信じられているが、これはとんでもない認識の欠如であろう。日本史は確かに縄文、弥生時代
と原始生活をしていた証拠もあるが、では縄文時代の前は何だったか?と云えば常識ある人は
サルに近い原始人というだろう。とんでもない見識違いであり、はるか5000年前~10000年前には、
現代と変わらぬ生活をしていたといえば、狂人扱いされる。だが、どちらが狂っているかは
歴史が証明するだろう。すなわち一万年も昔の人達は、電気も用い、空も飛び、レーザー光線を
扱っていたことを誰が知るだろうか。電気やレーザーの活用はエジプトの壁画にその様子が
描かれているし、空を飛ぶのは飛行機の現代のコンコルドと同じ金の模型がペルーインカ帝国で
発見されていて、世界ではオーパーツと表現する。すなわち信じられないという意味である。
これが航空機の模型であることは判明している。
ペルー ナスカの謎の地上絵は飛行機からしか見ることはできない。日本には天孫降臨伝説で
有名な空から皇族が高千穂に舞い降りた伝説が存在し、天の逆鉾は今でも高千穂峰に突き
刺さっている。実在の歴史でエジプト文明は紀元前4000年前やら6000前とも言われるが、
此のころの日本はと云えば縄文時代で人々は裸同然で野山を駆け巡って動物を追った生活を
していたという。西では高度の文明、片や東では野山を裸同然で狩猟生活とは、
どう見ても違和感がありすぎる。日本の縄文時代とは、それ以前の文明が消滅した為、
仕方なしに生き残った者同士で、一から原始生活を始めたのだ と考えられる。
紀元前のちょうど2000年前頃には 有名なイタリアのポンペイ遺跡が知られる。
ベスビオスという火山の爆発により一夜にして火山灰に埋没した事実は、近年の
発掘により、微に入り細に渡り人々の当時の市民生活が判明した。それによると、
町は現在とさほど相違がなく、道路は石の舗道、そして馬車、店舗はパン屋さん、
色んな店、銭湯、ホテル、ありとあらゆるものが解ってきた。こんなローマ時代の
遺跡が日本では、まだ歴史の舞台にも登場しない原始時代すなわち弥生時代である。
だがそれよりずっと昔は文明生活を営んでいた筈で、それまでの高度な文明生活。
-----それは、太平洋の海底に沈んだムー大陸が超高度文明に酔いしれて、堕落生活の
挙句大陸沈没の憂き目に遭って、その生き残りの人々が日本列島にたどり着いて原始生活を
始めたのだ。ほとんど証拠もないムー大陸。だが、いろいろと検証ができる。例えば、日本にある
浦島太郎伝説は、海中に沈んだ黄金宮殿の名残りであろう。
竜宮城というのは、発音から、リューキュー すなわち今の琉球列島、鹿児島県の奄美大島から、
与論島、沖縄各島を指すのは間違いない。また最近ではあるが、沖縄県の与那国島の海中遺跡。
琉球大学の木村教授によると、この遺跡は神殿跡であり、明らかにムー大陸の一部であったと
される。日本書紀、古事記の記紀にもそれらしき表現が随所にあり、しかも、天孫降臨の神話
には天から皇族が舞い降りたとなっている。空から降りるのは航空機か空飛ぶ円盤か飛行船、
宇宙船以外にはなかろう。あるいは、竹取物語でも最後は月からの使者が円盤に乗って
煌々と明かりを照らしてかぐや姫を迎えにきたシーンは誰しも知っているだろう。これらの
口述伝説にしても、世界には似たような話でいっぱいであり、満更作り話で終わらすわけには
いかない。わずかの資料をもとにしても、日本人は原始から歴史がはじまったのではないことは
明白である。その元の元は高度な文明生活、幸せな生活をしていたのではと思われてならない。
2011年6月19日日曜日
今朝のしののめ23年6月19日(日曜日)高齢社会
最近、本屋さんに並ぶ新刊本に、老後の本がやたらに多い。佐藤愛子さんの老後の自覚に関するもの、森村誠一さんの老後の本、日野原重明さんの100才を元気に などなど。
いずれも 内容は似たりよったり。高齢者が増えてきたことによる、謂わば高齢を自覚する為の
指南書とでも言えようか。誰しも年を取る。その時では遅いですよ と云っている。
その昔 人生五十年の時代が長く続いてきた。その頃は現在のような高齢者は少なかった。古希は人生七十古来稀なりであった。今は七十は若い部類になりつつある。とはいっても、やはり老人。社会のお荷物にならない為にも自分自身のことは、自分でやろうという趣旨だろう。
織田信長の辞世の句
人生五十年化天の内比ぶれば夢幻の如し
豊臣秀吉の辞世の句
露と落ち露と消えにし我が身かな 難波の事は夢のまた夢
いずれも人生のはかなさを最期に詠っている しかしこれらの武将は やりたい放題やった結果
だから文句はあるまい 問題は やりたいことができなかった人達、て゜ある。
残念無念 という言葉がある。念を残すという。思いを残さぬよう、毎日を精一杯生きる事が
大切だという裏返しに他ならぬ。
そんなわけで、自分自身も思いのたけを毎日精一杯に生きようと思いつつも、毎日毎日残念無念の日々。思いを成就出来た日が珍しい。 そんなこんなで半世紀はとっくの昔過ぎ去り、還暦も
もう過去の過去。年齢ばかり重ねる愚かさ。一体どうすりゃいいのさ この私。といいつつ、
試行錯誤の繰り返し。ああ、愚かな自分が 情けない。今日こそは、今日こそは で 過ぎ去る歳月。明日の、来年の、五年後の姿は霧の彼方。今だけで必死なんであり、明日以降など解ったもんじゃあ ない。
佐藤愛子さん、森村誠一さん、そんなことおっしゃったって
無理無理ムリ。
2011年6月16日木曜日
節電
このような不夜城のショッピングセンターは、毎日 煌々と照らしだす照明で
昼間同然。 今年は原発の問題で節電が叫ばれている。多少は暗くなっても
致し方ないと思います。電気と湯水はタダではないことが、よく解ります。
真夏の暑さだけは どうなんだろうなあ。クーラーの節電については皆どうする
のだろうか。私は水風呂があるから、使用しないでもいいんだが。
早寝早起きになると 多少は節電できるだろうかなあ
2011年6月15日水曜日
今朝のしののめ23年6月15日(水曜日)
もう 連続して 一週間以上 太陽を拝まない。
昨日は 快晴か晴れ という予報だったので 日照りを期待したのに ダメでした。
今日から また雨。
雨が続くと 家全体が 湿気で 調子が狂う
カビが生えたり 洗濯物が乾かなかったり
梅雨とは こんなものかと 改めて感じる
そん中 庭に植えた 豆やゴーヤが育っているのが 嬉しい
今年は ブドウが 何と実をならそうとして 花芽がぎっしりと。
これは その昔 食べた巨峯の種が 発芽して プランターで育ったもの
実がなれば こんな嬉しいことはない
2011年6月14日火曜日
方丈記を原文で書く ②
火もとは樋口富の小路とかや 舞人を宿せる化屋
より出で来けるとなん 吹き迷ふ 風に とかく移り
ゆくほどに 扇をひろげたるが ごとく末広になりぬ
遠き家は煙にむせび 近きあたりは ひたすらほの
ほを地に吹き付けたり 空には灰を吹き立て たれば
火の光に映じて あまねく紅なる中に風に堪えず吹き
きられたるほのほ 飛ぶがごとくに
して 一二町を越えつつ移りいく その中の人
うつ々心あらむや 或は煙にむせびてたふれ
ふし 或は炎にまぐれて たちまちに死ぬ或は
又 わずかに身一からうして随たれ共資財を取り
出るに及ばず七珍万宝 さながら灰燼となりにき
その費 いくばくぞ 此のたび公卿の家十六焼け
たり ましてその外
数へ知るに及ばず すべて都のうち 三分が一に
及べりと ぞ 男女死ぬるもの数千人馬牛の類ひ
邊際を知らず 人のいとなみ 皆愚かなる なか
に さしもあやふき京中の家をつくる とて 宝を
費し 心を悩ますことはすぐれてあぢきなくぞ
はべる へき また 治承四年卯月のころ 中御門
京極のほどより大なる つじ風おこりて
2011年6月10日金曜日
私の奥の細道 奥の細道を原文で書く ③
同行曽良は河合氏にして惣五郎と云芭蕉の下葉
に軒をならへて予か薪水の労をたすく 此たひ松嶋
象潟の眺共にせむ事をよろこひ且は羈旅の難を
いたはり旅立暁髪を剃て黒髪にさまをかへて
宗悟とす仍て黒髪山の句有衣更の二字力有て
きこゆ
二十餘丁山を登って瀧有岩洞の
頂より飛流して百尺千岩の碧潭に落岩窟に身を
ひそめ入て瀧の裏より見れはうらみの瀧と申伝え
侍る也
暫時は滝にこもるや夏の初
那すの黒はねと云処に知人あれはこれより野越
にかゝりて直道をゆかむとす遥に一村を見かけて
行に雨降り日暮るゝ農夫の家に一夜をかりて明
れは又野中を
行そこに野飼の馬あり草刈おのこになけきよれは
野夫といへ共さすかに情しらぬにはあらすいかゝ
すへきや共此野は東西縦横にわかれてうゐ〃
敷旅人の道ふみたかへむあやしう侍れはこの馬
のとゝまる処にて馬を返し給へとちいさきものふたり
馬の跡したひてはしるひとりは小娘にて名をかさねと
云聞なれぬ名のやさしかりけれは
2011年6月8日水曜日
方丈記を原文で書く ①
方丈記
ゆく川の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず
よどみに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて
久しくとどまりたる ためしなし 世の中に ある人と
すみかと またかくのごとし 玉敷の都のうちに 棟を
並べ 甍を争へる 高き 卑しき 人のすまひ は世ゝを
経て 尽きせぬものなれど これを まことかと尋ぬれば
昔ありし家は まれなり あるいは 大家滅びて小家と
なる 住人も是に同じ
所も変わらず 人も多かれど いにしへ見し人は
二三十人が中にわずかにひとり ふたり なり
朝に死し 夕べに生まるる ならひ ただ水のあわ
に似たりける 知らず 生まれ死ぬる人何方より
来たりて いづかたへ か去る また知らず 仮の
宿り たがためにか 心を悩まし 何によりてか
目を喜ばしむる そのあるじとすみかと無常を
争うさま いはば 朝顔の露に異ならず あるは
露落ちて花残れり 残るといへども 朝日に枯れ
ぬ 或は花は しぼみて 露なほ消えず
消えずといへども 夕べを待つことなし
我 物の心を知れりしより 四十あまりの春秋を
おくれる あひだ に世の不思議を見ること やや
たびたびになりぬ 去 安元三年四月二十八日
可とよ 風はげしく吹きて 静かならざりし夜 戌の
ときばかり 都のたつみ より火出て゛来て 西北に
至る はてには 朱雀門 大極殿 大学寮 民部省
などまで移りて一夜のうちに灰となりにき
今 Now
この世は虚仮である、と言う。
全くその通りだ、とつくづく思う。
食べ物。食べる瞬間の満足感。食感。この一瞬だけ。
時間の経過とともに、忘れ去る。
飽食からダイエット。の矛盾した世界。
生きることは食べる事の連続に他ならない。と映る世情。
食べ物の奪い合いから戦争に。過去にもあったこと。
これらは餓鬼の世界。
餓鬼の世界から戦争という地獄の世界。
違う !
人は真に求めるものは、他にある。
真。善。美。
マコトこそ求めるもの。
善こそ人の本質。
美こそ人の表現。
神の喜ぶ世界。だが此処に至るには苦しい辛い努力も待っている。
乗り越えてこそ。
It is said that this world is 「Koke」
I quite quite think that it is the street.
Food. Eaten momentary satisfaction. Only texture 『Kono』momentarily.
It forgets with 『ri』passage of time.
2011年6月7日火曜日
私の奥の細道 奥の細道を原文で書く ②
此たひ奥羽長途の行脚たゝ かりそめにおもひ立て呉天に白髪の恨を重ぬといへとも
耳にふれていまた目に見ぬ境若生て帰らぬはと定めなき頼の末を樂て其日漸々早加
と云宿にたとりて痩骨の肩にかかれる物先くるしむ唯身すからにと拵出立侍るを帋子
一衣は夜ル臥為と云ゆかた雨具墨筆のたくひあるはさりかたき花むけなとしたるは
さすかに打捨かたく日々路頭の煩となるこそわりなけれ室の八嶋に詣ス曽良か曰此神は
木の花さくや姫の神と申て富士一躰也
無戸室に入て焼たまふ ちかひのみ中に火火出見のみこと うまれ給ひしより室の
八嶋と申又煙を読習し侍るもこの謂也将このしろと云魚を禁す縁記の旨世に伝ふ
ことも侍し Ⅲ日日光山の麓に泊るあるしの云けるやう我名を仏五左衛門と云
万正直を旨とする故に人かくは申侍るまま一夜の草の枕も打とけて休み給へと
云いかなる仏の濁世塵土に示現してかゝる 桑門の乞食順礼こときの人をたすけ
給ふにやとあるしのなす事に心をとゝめて見るに誰無智無分別にして
正直偏固のもの也 剛毅木訥の仁にちかきたくひ智愚の清貧尤尊ふへし
卯月朔日御山に詣拝す往昔此御山を二荒山と書しを空海大師開記の時
日光と改たまふ千歳未来をさとり給ふにや今此御光一天にかゝやきて
恩沢八荒にあふれ四民安堵の栖穏也猶憚多くて筆を指置ぬ
あなたふと青葉若葉の日の光
黒髪山は霞かゝりて雪いまた白し
剃捨て黒髪山に衣更 曽良
私の奥の細道 奥の細道を原文で書く①
奥の細道
月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也 舟の上に生涯をうかへ馬の口とらへて
老をむかふるものは日々旅にして旅を栖とす古人も多く旅に死せるありいつれの年より
か片雲の風にさそはれて漂泊のおもひやます海浜にさすらへて去年の秋江上破屋に蜘
の古巣をはらひてやや年も暮春改れは霞の空に
白川の関こえむとそそろかみの物に付てこころをくるはせ道祖神のまねきにあひて
取もの手につかすもも引の破をつつり笠の緒付かへて三里に灸すゆるより松嶋の
月先心もとなし住る方は人に譲りて杉風か別野に移るに
草の戸も住替わる代そ雛の家
面八句を書て庵の柱に懸置 弥生も末の七日元禄二とせにや
明ほのの空朧々として月は有あけにて光おさまれる物から富
士の峯かすに見えて上野谷中の花の梢又いつかはと心ほそくし むつましきかきりは宵よりつとひて舟に乗りて送る千しゆと云処にて舟をあかれは前途三千里のおもひ
胸にふさかりて幻のちまたに離別の涙をそそぐ。
行く春や鳥啼魚の目は泪
これを矢立の初として行道猶す々ます人々は途中に立ならひて後ろかけの見ゆるまてはと
見送るなるへし
2011年6月6日月曜日
今朝のしののめ23年6月6日(月曜日)
実に久方ぶりの晴れの朝。肌寒く気温は15度を下回るのではなかろうか?
今年は本当に春がなかった。寒さから いきなり夏を迎えた感がある。その証拠につい先日まで真冬のジャケットや真冬の下着をつけていたのからも解る。 自然が狂っている。自然のサイクルが 噛み合っていない。だから、いつ 何が起きても不思議ではないような感覚に襲われる
『しののめ』にしても、このように 快晴で迎えることが何カ月も見ていない。
ある朝は、中国の黄砂が覆い、また ある朝は スモッグで覆われ、更には雨か曇りか判然とせず、
といった具合で、もう 抜けるような青空にお目にかかっていない。何かの前兆だろうか?
そういえば 今だに 梅雨入りしていない 我が地方。鳥の声もしない朝。
今年は本当に春がなかった。寒さから いきなり夏を迎えた感がある。その証拠につい先日まで真冬のジャケットや真冬の下着をつけていたのからも解る。 自然が狂っている。自然のサイクルが 噛み合っていない。だから、いつ 何が起きても不思議ではないような感覚に襲われる
『しののめ』にしても、このように 快晴で迎えることが何カ月も見ていない。
ある朝は、中国の黄砂が覆い、また ある朝は スモッグで覆われ、更には雨か曇りか判然とせず、
といった具合で、もう 抜けるような青空にお目にかかっていない。何かの前兆だろうか?
そういえば 今だに 梅雨入りしていない 我が地方。鳥の声もしない朝。
2011年6月5日日曜日
完璧 ! ハエ、蚊 対策
五月蠅と書いてウルサイと読む。ココロは、本当に嫌になる。
これから 蠅、蚊に悩まされます。
そこで、私にも ない智恵を絞って出した結論は。 少年時代の捕虫網。!!
これを100円ショップで購入して、家の中で 振り回して 昆虫採集!!
捕れます 捕れます! 飛びます 飛びます と言った人は もういないか。
もう、馬鹿あたり!!!! 蚊と蠅が面白いように捕れます。
おかげで、夜 寝るときは、蚊もな~んも いない静かに寝れること 極上!
香取り線香の煙にも悩まされず、
これから 蠅、蚊に悩まされます。
そこで、私にも ない智恵を絞って出した結論は。 少年時代の捕虫網。!!
これを100円ショップで購入して、家の中で 振り回して 昆虫採集!!
捕れます 捕れます! 飛びます 飛びます と言った人は もういないか。
もう、馬鹿あたり!!!! 蚊と蠅が面白いように捕れます。
おかげで、夜 寝るときは、蚊もな~んも いない静かに寝れること 極上!
香取り線香の煙にも悩まされず、
蚊がきたら また 振り回そう。! ハイ、いらっしゃ~い。zzzzzzzzzzzzzzzzz !!! よく寝られます。
2011年6月3日金曜日
2011年6月2日木曜日
麦秋の収穫後耕作風景
麦の取り入れも終わり、田植え前の耕作のひと時、トラクターの周りには多数の
白鷺がついていく。こんな時のおじさんは怖くないらしく、平気平気。
だが、人が近寄ると 野生の本領、飛び去る。よほど頭が良いらしく、
ちゃ~んと心得ていらっしゃる。
トラクターが耕作の後はミミズ、おけら、昆虫、芋虫、モグラなど豊富に
餌が出てくるから、彼らの食事場。
邪魔してはならじと、そっと近ずき、すぐに退散しました。
これも、ほのぼのとした風景。
我流川柳
駄作を少し思いつきました。メモ程度に。
『ウグイスが 元気出せよと 桃源郷』
疲労困憊して帰宅する夕刻、ウグイスが日没前に家のそばで歌を盛んに披露してくれる
それがまるで 応援隊のよう 有難い 我が家は 桃源郷なのか !
こんな家、ほかにあるだろうかと 感謝感激。
『満杯の 教室永久(とわ)に 願うのみ』
本日の教室は 超満員。不思議な感覚 自分の力ではない、何か大きな力が作用して
後押ししてくれているのが 解る。保護者、兄弟揃って来ると 居場所なし。有難うございます。!
『シジュウカラ 鳴いてもないのに 財布空』
鳥は鳥でも シジュウカラ。 いるわけないのに わが財布 始終カラ。
『恵比須顔 ハンドル執ると 閻魔顔』
普段はにこにこ顔したいい人なのに、車に乗ったとたんに そこのけそこのけ!の運転する人。
ハンドル執れば武装した怖いものなしの正体が出るのであり、恵比須顔は作りものだ !!
『ウグイスが 元気出せよと 桃源郷』
疲労困憊して帰宅する夕刻、ウグイスが日没前に家のそばで歌を盛んに披露してくれる
それがまるで 応援隊のよう 有難い 我が家は 桃源郷なのか !
こんな家、ほかにあるだろうかと 感謝感激。
『満杯の 教室永久(とわ)に 願うのみ』
本日の教室は 超満員。不思議な感覚 自分の力ではない、何か大きな力が作用して
後押ししてくれているのが 解る。保護者、兄弟揃って来ると 居場所なし。有難うございます。!
『シジュウカラ 鳴いてもないのに 財布空』
鳥は鳥でも シジュウカラ。 いるわけないのに わが財布 始終カラ。
『恵比須顔 ハンドル執ると 閻魔顔』
普段はにこにこ顔したいい人なのに、車に乗ったとたんに そこのけそこのけ!の運転する人。
ハンドル執れば武装した怖いものなしの正体が出るのであり、恵比須顔は作りものだ !!
2011年6月1日水曜日
我流川柳
また懲りもせず 川柳となるかならないか 定かでない 狂句を勝手にこしらえました
『政治家は 馬耳東風と 厚い皮』
政治家となるには 人の意見は馬耳東風に聞き流し、厚い面の皮でなきゃ 勤まらぬ
『梅の実の 実らぬ今年 メジロ来ぬ』
梅の実が実らぬのを メジロのせいにするのは 可哀そう 人間に原因あり
『町 いなか 議論する間に 老いぼれり』
住むには町がいい 都会だ と ああだこうだという間に 本人は歳をとる
『定年後 家の廻りは ピッカピカ』
定年で することなく罪滅ぼしに 家の廻りを磨く旦那と監視する女房
『政治家は 馬耳東風と 厚い皮』
政治家となるには 人の意見は馬耳東風に聞き流し、厚い面の皮でなきゃ 勤まらぬ
『梅の実の 実らぬ今年 メジロ来ぬ』
梅の実が実らぬのを メジロのせいにするのは 可哀そう 人間に原因あり
『町 いなか 議論する間に 老いぼれり』
住むには町がいい 都会だ と ああだこうだという間に 本人は歳をとる
『定年後 家の廻りは ピッカピカ』
定年で することなく罪滅ぼしに 家の廻りを磨く旦那と監視する女房
誰も見ない
誰も見ない 野の花 ひっそりと そして 毅然と
野の花は 見る人を期待していない 誰が見ようと 見まいと 釈然として 凛々しく。
じっと 見入る。 なるほどなあ
自分らしく きれいに咲かせる そして 枯れ 実を結ぶ
そこには何の作為も見られない 真実の姿あるのみ
ただ 自然のままに しかし 美しく
一体 誰に見せる為?
こんなことを考え、詮索する方が おかしいのだろう
この花に 教えられた 花、自然こそ自分の教師。手本。
野の花は 見る人を期待していない 誰が見ようと 見まいと 釈然として 凛々しく。
じっと 見入る。 なるほどなあ
自分らしく きれいに咲かせる そして 枯れ 実を結ぶ
そこには何の作為も見られない 真実の姿あるのみ
ただ 自然のままに しかし 美しく
一体 誰に見せる為?
こんなことを考え、詮索する方が おかしいのだろう
この花に 教えられた 花、自然こそ自分の教師。手本。
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