昔の古い西部劇を観た。懐かしいと同時に、筋書きが勧善懲悪的側面があるとはいうものの、主人公の善人気取りがどうも現実から見ると変である
善を通せば悪人を大量殺戮してもいいのか? という、およそ映画を楽しむのには相応しくない考えで冷ややかに、冷静に観たが、こんな観客は映画関係者には観て貰いたくないだろう。
此の世は総て天秤の世界。善を行えば善が、悪を行えば悪が、利子を付けてピッタし 還ってくる世界。個人でも団体でも国家でも、総てに循環し巡り巡る世界。
我等の先祖は此の事が解った人々は 己を制止し、節制し、善を積む事に務めてきた。
「積善の家に余慶あり」 という。
最近になって なるほど なるほど と感心しきり。
確かに世の中ず~っと眺めていると そのような構造になっているようだ。
映画では、悪党が 略奪を繰り返すが 結局は 滅びてしまうという内容。
これは事実だろう
悪の栄えた例しなし。
でも、善人と称している人間も 本当に栄える者と 凋落する者があるのは 中味に問題があると観た。
強盗略奪して財を手にしても、結局は同様の手口で他の誰かに同じ様にして奪われる。
反対に 他に与える者は いつか何処からか恵みが来る。 このことを 世の中の片隅からでも
観ているから、よ~く解る。
西部劇は茶番に過ぎない。
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