『五月の乙未の朔の葵卯に天皇朝倉橘広庭宮に遷り居します 是の時に朝倉社の木を斬り除ひて
此の宮を作りし故に 神忿りて殿を壊つ 亦 宮中に鬼火を見る是に由りて大舎人と諸の近侍 病みて死ぬる者衆し』 と。
天皇の居所を建てるのに 神社の大木を切り倒して それを使って建てた為に 神の怒りにふれて
急死し、従者もみな病気で死んだとある。
御神木を切ったら祟りがあるというのは 昔から聞いていて この話は本当だなとつくづく思う
その後 この筑紫の大本営である朝倉広庭宮は廃止 息子の中大兄王子が天智天皇となって斉明天皇の喪に伏して恵蘇八幡宮に仮安置し祀るとある
これを機に国運も傾いたのか、663年の白村江の戦いで 唐と新羅の連合軍に百済と倭の同盟軍は敗退し 九州への退却とともに国防戦線を張る その後に出来た太宰府防衛の水城築城や大野城の構築など 唐からの侵攻に備えた。
斉明天皇の神木を斬る行為が後を引いたとは思わないが、思いもしないきっかけが 運を変えることは十分考えられることで 現代にも生きていることだろう
百人一首に 『秋の田のかりほの庵のとまをあらみ我が衣手は露に濡れつつ』天智天皇
というのが歌われている。この歌は 朝倉に於いて斉明天皇を祭る時 歌われたものだろう
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