東北大震災の翌日の3月12日に新幹線鹿児島ルートが全面開通しましたが、総ての祝賀式典は急拠取り止めとなっていました。当方も自粛していたのが 本日用件がありついでに立ち寄ることにしたものです。駅はビルの下に滑りこむ方式となっていて、まさに駅そのものが一つの街なしている。
物珍しさと新鮮さを求めて各地から沢山の人が押し寄せ 駅の百貨店は大混雑でした。予想以上の人出でさぞかし商売繁盛だろうと予想出来ます。福岡市の中心地が ひょっとしたら天神地区から博多駅に移るのではないか そんな気さえしてくるものです。
その昔 博多駅が出来た昭和38年当時を思い出すと 雲泥の差です。当時は畑の中にポツンと国鉄の駅がひとつだけ建っていたさみしさでした。博多駅前まで通う路線バスは、土砂混じりのガタガタ道路、埃まみれの酷い状態で博多駅前に辿り着いたものです。町の名前も畑に因んで、人参町、それに馬もいたのでしょうか馬場新町など のんびりしたものでした。更に、駅ビルが出来た当時は、駅前に高層ビルが建つのか心配だったのでしょうか。? 高層ビル建設オーナー募集の張り紙を観た事がある、高層ビルを建てて下さいとの考えられない時代だったものです。二三階建ての小さなビルでは、景観を損なうとの判断だったのでしょうか。それが、今日のような近代的都会に生まれ変わるとは誰が予想したでしょうか。本当に変わりました。それが、真の発展には 人に優しく温かい街でないと無理でしょう。今日の賑わいに驕ることなく継続して繁栄するよう祈る気持ちです。
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