2012年5月18日金曜日

一日一筆 柳川歌 24.5.18

邪馬台国は心の楽しみ増える日々
何もかも白日の下に判る日々 ねじれた構造はがされる
税上げに命を掛けると言う総理  土俵下で白ける庶民の心知らずや
人々の心は病んで事故多し
現代の女性美し平和かな
関東で野菜巨大化する現象  是れ放射能に非ずして何という


柳川歌は我流独断偏見規則なし
俳句に非ず 短歌に非ず 川柳近いが川柳に非ず
川柳の逆を採って柳川歌と称す
ただありのまま思い付くまま気儘に書き記し歌う
何人たりとも侵入無用

2012年5月16日水曜日

2012年5月15日火曜日

一日一筆  柳川歌  人類発祥

人類はアフリカ発祥だと言う
どうしたら黒い目が青い目金髪に
なるというのだろうか
矛盾た゜らけ科学の世界

2012年5月14日月曜日

一日一筆  柳川歌 人の世

柳川歌
人の世は魂の洗濯場
色んな程度の魂が
音を立てて凌ぎを研る
昨日も今日も又明日も

2012年5月13日日曜日

扇面作品

散り散らず聞かまほしきをふるさとの花見て帰る人も逢はなむ  伊勢

2012年5月12日土曜日

一日一筆  仕事

         仕事の有難さ 
          
                    天は見ている

2012年5月10日木曜日

一日一筆 無事是名馬

無事是れ名馬


毎日健康で居られる有難い
昨日と同じく活躍出来ます有難う

2012年5月9日水曜日

一日一筆  柳川歌  トキ

佐渡のトキがヒナ養育
数羽確認めでたいな
だけど一時(ヒトトキ)の線香花火
根本解決したいなら
昔の自然を取り戻す
トキ一羽 育つためには
莫大な
自然環境必要で
今のままならまた消滅
移入消滅のどうどうめぐり
結局我らのわがままが
こんな事態を招いただ
ヒトの姿勢を
改めて
来る本来の
自然を
どうしても
元の形に取り戻す
これこそ理想の
住環境

一日一筆  有難い

有難い
朝目覚めて有難い
体が動いて有難い
仕事が出来て有難い

2012年5月4日金曜日

2012年5月3日木曜日

柳川歌  鯉のぼり 24.5.3

川一面 無数の鯉が泳いでる これ観たさに観光客が押し寄せる
五月連休ののどかな風景    杖立温泉にて

2012年5月2日水曜日

一日一筆  今日の書

人の一生は三万日余 今日も明けては暮れいく

時間を無駄には出来ない  壮大な生きたドラマの

繰り返し まるで寄せては返す 海の波そのものである


2012年4月28日土曜日

一日一筆  柳川歌 原子力

太平の眠りを覚ます原子力 たった一基で夜も寝られず
        
            原発をどうするかで日本は大揺れ。廃止が最良

          元歌は 『太平の眠りを覚ます蒸気撰 たった四杯で夜も寝られず』
           江戸の太平を打ち破る四杯の黒船来航。上杞撰の静岡名茶と蒸気船を
           掛けた名歌を 恐れながらも採り上げたものです

今日の毛筆便り 24.4.27

季節は移ろい絶好の気温の日々となって来ました
鶯かさかんに鳴き 時折キジもあの悪声で雄たけびを挙げる

2012年4月21日土曜日

今日の毛筆便り24年4月21日(土曜日)

人は仕事している 人から仕事を取ったら何が残る

君子は一人を謹むという

一人になった時何が出来るか 

何をしているかが一番大切となる

2012年4月19日木曜日

一日一筆  柳川歌 24.4.19  春過ぎて

春過ぎて夏未だ遠し黒たえの冬衣のままの街中色也
                                 模作

2012年3月28日水曜日

柳川歌 24.3.28

故郷は 理想の虚構 雲の中

我が庵(いお)は 筑紫の倭(やまと) 卑弥呼住む いにしへ偲ぶよしもなし

いつのまに夜は明けにし西東 さえずる小鳥いずこへぞ

川柳でもなく俳句でもない独創の柳川歌(やながわうた.りゅうせんか)
日誌代わりの折々の心の軌跡を顕したいとの思い止まず。

2012年3月27日火曜日

柳川歌







春盛りなのに気温は真冬日に 花の命のたくましき

植物は 如何でか春を知らましや     

此の春は 自然の命を学ばされ

暦すら 持たざる虫は 如何て゛か出る日を知らざりし





2012年3月24日土曜日

柳川歌 創始

川柳(せんりゅう)ではなく 柳川(やながわ)歌。
今日から創始。柳川歌と称するもの。
どちらかと言えば川柳に近いが 川柳ではない。
無手勝流。川柳の逆を行く

何の規制もなく 日々の思いを歌に託す。
もちろん俳句でもない。ただ
五七五調には近い。
そして、毛筆に限る。

その第一句から


古戦場なにをやっても発けない

人生は相手となる人神のみぞ

消費税上げて見ろよ買わないよ

政治屋は誰に何をする人ぞ

書道展読めもしない字興味なし

これが最初の五狂作。!





2011年12月12日月曜日

我流川柳 世相実写

人多く    しかし人なし   みな孤族

国はただ  意思持つ怪物  どこを向く

親思う  子が少なしは   世界一

骨抜きの  教育受けて  どこ向かう

DPP   語らず参加  どうする気

弱い者  置き去りいじめ  極まりき

直葬と   いう名の不明  三万人





   




2011年10月17日月曜日

歴史散見④ 邪馬台国時代

日本史最大の謎  邪馬台国
この邪馬台国という国の文字そのものが 我が国にはないのも大変な不思議なこと

中国の魏で司馬遷が 中国を取り巻く周辺の国家像を単に書いたに過ぎない
まして二千年近く後世の日本の為にと思って書いたなどは有り得ない。
なのに この魏誌に登場している倭人伝が大変な反響となって こんにちの日本を戸惑わせるとともに
古代史最大の謎解きの本として君臨している
なぜ日本には邪馬台国という名称すらないのだろうか?

この時代はまだ古事記日本書紀の記紀の世界であって まだ何の歴史も知られていない頃

歴史というのは 事件事件の連続で その事件を単に書き連ねたにすぎない
だから、歴史がないということは 裏返して考えると  大変に平和な世であったに違いない
毎日天下泰平の世ならば 事件事故もなく 何にもなかった したがって歴史もないということになる

戦争もない平和な時代は  おそらく日本列島はじまって以来延々と続いて来たに相違ない
人口も少なく  秩序の保たれた良き時代であった筈で 村社会では 神がかりの長(おさ)を中心に
人々は互いに尊敬しあい 助け合いながらの理想郷であった
こんにちから見ると 原始の野蛮な時代だと偏見に満ちた見方をされているだろうがとんでもない
今の経済至上主義 の乾いた砂漠のような社会ではなかった

物にこそ恵まれていなかったが 人間らしい豊かな社会が有史以来続いた

変化があったのは 人間が我欲に取りつかれてからである

例えば 食べ物の餌の採り方    魚も其の日に皆で食するだけしか採らない
キノコだって食べられるかどうかを判定したのは 神がかりの卑弥呼のような村の長
今 毒のある魚  毒のあるキノコ といって食べられるか食べられないかの判断はついているのは
きっと 神がかりの人々が神にお覗いをたてて 教えられた結果であろう

こうやって毎日毎日統制のとれた社会が続いていた
しかし 日本は島国   この島に 大陸の動乱で難民となって逃れてくる者は 帰化人といって格好よく
語られるが  事実はこの帰化人たちが日本社会を戦乱の社会に引導した張本人であったろう
更に 古代は女社会
卑弥呼に象徴される女のリーダー
女は元来平和主義  男は闘争的 
いろんなことが見えてくる古代史観

2011年10月11日火曜日

歴史散見③ 捕鯨の歴史と現在

日本の捕鯨に世界の反対が多く商業捕鯨は現在中止されている

この現実に 食文化の相違が明らかになっているものの、捕鯨の歴史を辿れば
矛盾だらけなのである

アメリカやオーストラリアが捕鯨反対の急先鋒であるが  彼らとて捕鯨を
やっていた歴史があり まさに辻褄があわない

ことにアメリカに関しては、誰しもが知っている黒船。

この黒船は最初から軍艦として建造されたには違いないが  元々捕鯨船の一部で

あったことは疑いようがない

西部開拓から太平洋に船で乗り出し  駆け回ったのは何も冒険するためではなく

油が必要であったが  まだ石油が発掘されていない時代のこと。

日本の歴史上アメリカと最初に接触したジョン万次郎は 四国沖の太平洋で漁船が

嵐で遭難し 流された先の鳥島で発見され救助されたのは アメリカの捕鯨船であった。

ここから日米の歴史は始まったと言っていい。

即ちアメリカが太平洋に乗り出したのも 捕鯨が目的であった。

クジラから採る油を求めてもう無計画に捕獲し尽くしたと言ってもいい。それくらい採りまくった

とったクジラは解体して  油のみ採取すれば肉や骨総ては海に捨てると言う荒さ。

こんなことをテキサス州で石油が発掘されるまで延々と続け、その間クジラは激減した

事実は  世界で発表されない

日本は和歌山県の太地町や佐賀県の呼子町など各地に捕鯨の町があるが、

アメリカのように大々的に船を仕立てて狩り尽くすようなことはしていない。

時々沖合に回遊してくるのを見張り所で発見して みんなで捕獲した程度で、一頭を

仕留めたら  暫くは町も潤う生活だったようだ。だから これらの町の捕鯨は

クジラの絶滅を心配するほどのことは  何もなかった。

ところが   アメリカのすさまじい捕鯨の前には  日本に回遊するクジラも激減

したほどのものであったようだ

油が石油にとって代わるとともに  アメリカの捕鯨は止んだ。

黒船の来航は丁度捕鯨たけなわの頃、確かに船の補給などの目的も

あって 開港から開国を迫ったのだが、これら捕鯨の歴史には知らん顔。

そして150年以上経過した現在では 日本の商業捕鯨を身を呈して反対している。

人間は自分が必要でないなら反対し  必要なら強引にやり遂げるのだろうか。

反捕鯨団体は理由の一つにクジラが可哀そうだというが、では食物の一つに

牛、豚などがいるが 牛は殺してもいいとでも言うのだろうか。

クジラも牛もどちらも哺乳類の極めて高度な頭脳を持った動物には違いがない

クジラはイルカと同様  相当に頭がいい

しかし牛は西洋人にとっては食物の対象としか映らないようだ。

先日スペインの闘牛で闘牛士が角で顔を突かれる事件があった

顎の下から目に抜ける傷は重傷では済まされない程の事故

この事件は昔から予見は出来た

闘牛場で観客を集めて牛を興奮させて剣で突く。そして最期は殺す

こんな残酷なことは日本ではしない      彼らは食の対象としか

見て居ないからできることなのだ。

このように考え方、文化の違う人種は、クジラに関しても激突

力関係の強いほうの考えに従うのが世界の流れなのか。

そして、クジラを取るのを止めてアメリカの牛をもっと買えという。


世界中を見渡すと クジラを食する人種は他にもいる

北極圏のイヌイット、エスキモーといった人達。更にはノルウェーなど

北欧文化圏の人々。これらの人達はクジラは生活必需品

ささやかに捕獲するのは目をつぶって 矛先は日本のみ。

日本を目がけて集中砲火。

その関係から下関や横浜の捕鯨基地はもうずっと前から閉鎖

現在はごく僅かの調査捕鯨のみ行っている。

こんなに矛盾した世界は一体どうやって収拾したらいいのだろうか。

歴史を観ればどちらの言い分がどうなのか  観えてくる気がしてならない




  

2011年8月5日金曜日

今朝のしののめ23年8月5日(金曜日)

今日は多少の波乱含み模様   雲がやや荒れているところを見ると
午後の雷雲が荒れそうな予感。                                                         
昼の炎暑の最中は 何も考えることが出来ないほどに過ごしにくい
朝の気温はそれを和らげて 穏やかそのもの                                  

毎日色んなことが起きている人生。ただ真実は一つ。自分の心を
信じて 常に前向きに生きたいと思う。紆余曲折、波乱万丈なれど
天が見てくれている。私には神がついてくれていることが解った。

2011年8月4日木曜日

今朝のしののめ23年8月4日(木曜日)

  • あれだけ暑い日中も  早朝は爽やかで心地よい

しののめは素晴らしい 

静まり返った中でも  耳を澄ますと  遠くの道路で走る車の音   一番電車のレール音

最も心に響くのは鳥のさえずり

夜が明けるのを待っているかのような鳥

それ以外は  シンシンとして 別世界

こんなにも朝が気持ちいいのは   今の時期が最高だろう

2011年8月3日水曜日

今朝のしののめ23年8月3日(水曜日)

最近珍しく きれいに晴れ渡った空。
太陽の昇る速度は すごく速い !
もう  あれよあれよという間もなく 光を放つ
やはり 地球は動いている実感
また、私自身も留まることなく動いている
とめどなく 年をとる
だから 何かをしなくちゃいけないのだろ
朝から感動したところで これからやろう
今日はなんだったっけ?
少ないようで多い   多いようで少ない
やるべきこと

気がついた   とにかく自分は宇宙に守られ
監視されているということが。
つまらぬ日常の些細なことに気をとられ
そして 捉われることのないようにしていきたい
今朝の勉強になったこと   で   し    た

2011年8月1日月曜日

今朝のしののめ23年8月1日(月曜日)

もう八月    お盆月   先祖のお祭りが  多い月
暑くて 早く過ぎて欲しい気がする  
でも 今朝は随分夜明けの時間が遅くなりました   これから坂道転がるように 暗くなる

繰り返し繰り返しこんなサイクルで歳月が過ぎていく
今の我らは その 時間の旅人にすぎないのだろうか
でも 旅人といっても  旅した証しはすくなくとも印したいと思う