2011年10月17日月曜日

歴史散見④ 邪馬台国時代

日本史最大の謎  邪馬台国
この邪馬台国という国の文字そのものが 我が国にはないのも大変な不思議なこと

中国の魏で司馬遷が 中国を取り巻く周辺の国家像を単に書いたに過ぎない
まして二千年近く後世の日本の為にと思って書いたなどは有り得ない。
なのに この魏誌に登場している倭人伝が大変な反響となって こんにちの日本を戸惑わせるとともに
古代史最大の謎解きの本として君臨している
なぜ日本には邪馬台国という名称すらないのだろうか?

この時代はまだ古事記日本書紀の記紀の世界であって まだ何の歴史も知られていない頃

歴史というのは 事件事件の連続で その事件を単に書き連ねたにすぎない
だから、歴史がないということは 裏返して考えると  大変に平和な世であったに違いない
毎日天下泰平の世ならば 事件事故もなく 何にもなかった したがって歴史もないということになる

戦争もない平和な時代は  おそらく日本列島はじまって以来延々と続いて来たに相違ない
人口も少なく  秩序の保たれた良き時代であった筈で 村社会では 神がかりの長(おさ)を中心に
人々は互いに尊敬しあい 助け合いながらの理想郷であった
こんにちから見ると 原始の野蛮な時代だと偏見に満ちた見方をされているだろうがとんでもない
今の経済至上主義 の乾いた砂漠のような社会ではなかった

物にこそ恵まれていなかったが 人間らしい豊かな社会が有史以来続いた

変化があったのは 人間が我欲に取りつかれてからである

例えば 食べ物の餌の採り方    魚も其の日に皆で食するだけしか採らない
キノコだって食べられるかどうかを判定したのは 神がかりの卑弥呼のような村の長
今 毒のある魚  毒のあるキノコ といって食べられるか食べられないかの判断はついているのは
きっと 神がかりの人々が神にお覗いをたてて 教えられた結果であろう

こうやって毎日毎日統制のとれた社会が続いていた
しかし 日本は島国   この島に 大陸の動乱で難民となって逃れてくる者は 帰化人といって格好よく
語られるが  事実はこの帰化人たちが日本社会を戦乱の社会に引導した張本人であったろう
更に 古代は女社会
卑弥呼に象徴される女のリーダー
女は元来平和主義  男は闘争的 
いろんなことが見えてくる古代史観

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