2011年10月11日火曜日

歴史散見③ 捕鯨の歴史と現在

日本の捕鯨に世界の反対が多く商業捕鯨は現在中止されている

この現実に 食文化の相違が明らかになっているものの、捕鯨の歴史を辿れば
矛盾だらけなのである

アメリカやオーストラリアが捕鯨反対の急先鋒であるが  彼らとて捕鯨を
やっていた歴史があり まさに辻褄があわない

ことにアメリカに関しては、誰しもが知っている黒船。

この黒船は最初から軍艦として建造されたには違いないが  元々捕鯨船の一部で

あったことは疑いようがない

西部開拓から太平洋に船で乗り出し  駆け回ったのは何も冒険するためではなく

油が必要であったが  まだ石油が発掘されていない時代のこと。

日本の歴史上アメリカと最初に接触したジョン万次郎は 四国沖の太平洋で漁船が

嵐で遭難し 流された先の鳥島で発見され救助されたのは アメリカの捕鯨船であった。

ここから日米の歴史は始まったと言っていい。

即ちアメリカが太平洋に乗り出したのも 捕鯨が目的であった。

クジラから採る油を求めてもう無計画に捕獲し尽くしたと言ってもいい。それくらい採りまくった

とったクジラは解体して  油のみ採取すれば肉や骨総ては海に捨てると言う荒さ。

こんなことをテキサス州で石油が発掘されるまで延々と続け、その間クジラは激減した

事実は  世界で発表されない

日本は和歌山県の太地町や佐賀県の呼子町など各地に捕鯨の町があるが、

アメリカのように大々的に船を仕立てて狩り尽くすようなことはしていない。

時々沖合に回遊してくるのを見張り所で発見して みんなで捕獲した程度で、一頭を

仕留めたら  暫くは町も潤う生活だったようだ。だから これらの町の捕鯨は

クジラの絶滅を心配するほどのことは  何もなかった。

ところが   アメリカのすさまじい捕鯨の前には  日本に回遊するクジラも激減

したほどのものであったようだ

油が石油にとって代わるとともに  アメリカの捕鯨は止んだ。

黒船の来航は丁度捕鯨たけなわの頃、確かに船の補給などの目的も

あって 開港から開国を迫ったのだが、これら捕鯨の歴史には知らん顔。

そして150年以上経過した現在では 日本の商業捕鯨を身を呈して反対している。

人間は自分が必要でないなら反対し  必要なら強引にやり遂げるのだろうか。

反捕鯨団体は理由の一つにクジラが可哀そうだというが、では食物の一つに

牛、豚などがいるが 牛は殺してもいいとでも言うのだろうか。

クジラも牛もどちらも哺乳類の極めて高度な頭脳を持った動物には違いがない

クジラはイルカと同様  相当に頭がいい

しかし牛は西洋人にとっては食物の対象としか映らないようだ。

先日スペインの闘牛で闘牛士が角で顔を突かれる事件があった

顎の下から目に抜ける傷は重傷では済まされない程の事故

この事件は昔から予見は出来た

闘牛場で観客を集めて牛を興奮させて剣で突く。そして最期は殺す

こんな残酷なことは日本ではしない      彼らは食の対象としか

見て居ないからできることなのだ。

このように考え方、文化の違う人種は、クジラに関しても激突

力関係の強いほうの考えに従うのが世界の流れなのか。

そして、クジラを取るのを止めてアメリカの牛をもっと買えという。


世界中を見渡すと クジラを食する人種は他にもいる

北極圏のイヌイット、エスキモーといった人達。更にはノルウェーなど

北欧文化圏の人々。これらの人達はクジラは生活必需品

ささやかに捕獲するのは目をつぶって 矛先は日本のみ。

日本を目がけて集中砲火。

その関係から下関や横浜の捕鯨基地はもうずっと前から閉鎖

現在はごく僅かの調査捕鯨のみ行っている。

こんなに矛盾した世界は一体どうやって収拾したらいいのだろうか。

歴史を観ればどちらの言い分がどうなのか  観えてくる気がしてならない




  

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